17日の土曜日は赤松林太郎氏を迎えて知恩院御影堂でのピアノコンサート。なぜかその司会を私が務めるというサプライズは、満堂の大衆の前で話をするという貴重な体験であった。柄にもなく、脳内は真っ白だった。人前に立つことにあんまり緊張するタチではないのだが、話すのってあんまり得意じゃないからな。用意した原稿を読むのに精一杯。他にも先々週から先週にかけては原稿の締め切りがあったりと大がかりな仕事がいくつもあって、いやあ本当に疲れましたよ。昨日はヤフオクで落札した日本古典思想体系が届いたけど開封する気力もなく、寝てしまった。でかい段ボールに入って今も玄関口に横たわっている。しかしなぜ書物がでかい段ボールに入って届くのか―――それは同じ出品者から15冊も落札したから。「あーあ、部屋はまた狭くなる」という悩みはいよいよ深刻で、ワンルームマンションがいよいよ住みにくくなってきているが、新しい本がやってきたときの喜びはしばし悩みを忘れさせるから手強い。
さっきコタツを出したが去年よりもずいぶんと部屋が狭くなっていることを実感する。もっと楽にコタツを出せたはずなのに。恨み言は言うまい。心が書物を欲しているときに我慢する必要は無かろう。コタツの上にはたった今開封した段ボールから出してきた本居宣長。先日岩波文庫の古書で『玉くしげ』を買い、今朝職場へ向かうバスの中で読んでいたが、示唆されることは多く、本居宣長や平田篤胤など江戸時代の思想家を読んでこなかった後悔は深い。書物を読んでいてそこに自分がまったく知らなかい世界があったとき、私はいつも背筋が凍り付くような感じを受ける。自分の見識の浅はかさを思い知るからなのだろう。宣長と篤胤はそういう体験をひさびさにさせてくれた。大学時代に読んだマックス・ウェーバー以来だ。宣長と篤胤についてはいつかまたここに書ければと思う。