寺社の参拝とはおよそ非日常の空間を味わうひとときだと思うが、生まれも育ちも就職先もお寺の私にはそれはむしろ「日常」である。昨夜は永観堂のライトアップを訪ねたのだが、色づいた紅葉に「わぁ綺麗」と酔うよりも、庭園の作り方・見せ方、ライティングの技術等々が気になる。いわゆる職業病というやつだろうが、しかし永観堂はその紅葉の美しさが有名な寺院、学ぶところは多い。いかにして参拝者に満足してもらうか、どうやって大勢に来てもらうか、勉強させてもらった。そして、多少意外ではあったが、私自身も楽しんだ。坊さんの中には、非日常を味わえぬ寺社仏閣めぐりに興味をもたない人もいるが、「同業他社」(笑)を自らの足で歩いて知ることは重要だと思う。素晴らしいひととき。ありがとう永観堂。
永観堂から自転車をこぐこと15分。向かった先は京都大学である。一年に一度、この学園祭の時期にサークルのOBが集まる。毎年来る人、久しぶりに再会した人、懐かしそうな顔を見合わせると時をおかずトリオやカルテットが始まる。クラシックというとコンサートホールなどでかしこまって聴くべきものという印象が一般にはあるだろうが、この空間は音楽的興奮に包まれたライブハウスである。演奏者と聴衆は曲ごとにいれかわり、両者のあいだに隔たりはない。一度こういう体験をすると、コンサートホールで○○コンクール何位などと書かれたプログラムを見ながら演奏を拝聴するのが馬鹿馬鹿しくなる。結局のところ、クラシックもポップスやロックと同じように、聴く者を興奮させ、そして自らもその中で興奮してこそであり、肩書きで聴かせるものではないと思う。コンクールの意義を全く認めないつもりはないが、偏愛されすぎているのが現状ではないか。
私も実はこっそりとMy楽器(ハーモニカ)を持ち込んでいた。およそ2年ぶりに演奏することになるかとも思ったが、演奏をせぬまま帰ってきた。私がクラシックにどっぷりと浸かった学生時代の6年間が痛切に教えくれたものは、音楽的センスのなさであった。しかし、それは悲しむべき事実であるよりも、幸せな経験であった。それなりに一生懸命にやったから、超一流との違いをはっきりと知ることができ、音楽は「仕事」よりも「趣味」としてつきあうべきものと知った。2年間練習をしなかったブランクに加えて、今さら私が楽器を手に取るのも無駄かというトラウマ―――趣味としてつきあうつもりなら気にすることなどないはずなのに!―――が、人前で演奏することを拒否させる。再び楽器を手にするのは、心の整理がついたときだろうか。